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会員紹介 近藤 一明 (ビデオタイム)

プロフィール

氏名近藤 一明 (こんどう かずあき)
会社名(屋号)ビデオタイム
住所東京都中野区
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いつまでも高みを目指し、ビズネットを支える。

お仕事の内容をお聞かせください。
僕が始めたのは、企業の会社案内が最初。だんだん幼稚園・学校関係に、今は なってるよね。

小学校の音楽会とか、学芸会が主ですね。幼稚園は、運動会、お遊戯会、音楽会、卒園式かな。この辺は、普通に皆さんもやってると思うけどね。

あと、普通の人がやらないと思うのは、ビデオ中継。
お寺さんの行事とか、ある大本山でやる行事だと、人が700〜800人くらい来ちゃうのかな。そうすると、本堂には例えば300人くらいしか入れないとか、そういうことになれば、お寺さんに来ても外で ぼーっと待ってるだけじゃあれなんで、本堂の中の行事を、表のテントに同時中継するっていうのを、20年近くやってるね。普通なかなか中に入れない内陣にリモコンカメラを使ったり、自分で照明を立てたり。

大きいお寺だけでなく、小さいお寺も、晋山式とか、どこのお寺でもやるからね。檀家さんは300人とかいると、本堂には100人も入れないとかになっちゃうと、やっぱり中継したりするね。
お寺さんの行事って、葬儀屋さんが入ってるわけ。葬儀も得意として撮ってる。葬儀といっても、ものすごいでかい葬儀をやるわけ、青山斎場とか。
会社で社葬なんかやるじゃない。必ず総務の方からそういう話になるの。中継もしてほしいとかなるの。
ビデオの仕事はどのくらいやってますか?
計算すると約30年くらいやってる。30年前の業務用ビデオというのはシブサンとか、そういうものしかなかった。そこから始めて、誰かに教わったではなくて、自己流で全部やったと思うよね。

それだけ長くやってると、会社の企画物から始めたんだけど、ブライダル、幼稚園・小学校とか、業務用のビデオを撮るジャンルは一通りやったよね。あれはやってない、っていうのは少ないよね。
ビズネットの創設者の一人ですよね。
奥川さん(初代会長)のダイレクトメールが鍵になったよね、本当に。
やっぱり、奥川さんがそういうことを考えて、自分で行動をおこしたってことがえらいよね。
ビズネットで、プラスになったことはありますか?
人のやってる仕事について、自分との違いがわかることだよね。今までが自己流でやってきたことに対して、他の人がね、自分よりもいいことをやってると。そういうことが知ることができた。合理的にね、仕事ができるとか。
仕事の取り方、セールスというか、そういう方法とか。違いがあるわけだよね。

それと、やっぱり、自分と同じような仕事をしている人と、二次会で楽しく話ができる(笑) みんなが、まったく対等で楽しい話が出来るのは最高だよね。

プライベートのことを聞いてみました

趣味はありますか?
趣味は2つあって、1つはビリヤード。もう、高校時代ぐらいからやってる。
普通、ビリヤードっていうと、ポケットだと思うんだけど、僕がやってるのはスリークッションというのをやってる。だいたい週2くらいで行ってる。
2人でサシで勝負をする、ものすごい知的なゲーム。足し算、引き算して計算して当てる。やったらハマるよ。
もう一つは?
学生時代から、釣り部に入ってて、もう50年くらいやってるのがヘラブナ釣り。ヘラブナ専門の会に入ってる。毎月一回、例会があって、その会の副会長までやって、会計は20年くらいやった。一番多いときには、120名くらいいて、今は40名くらいになっちゃったかな。

年間の釣果で、誰が優勝するかを、相撲の番付のように決めてる。
年間の釣り場が決まってて、今月はどこで、船宿がどこ、何時まで集まって、何時に出船します、って決まってるわけ。

ボートに乗って自分の好きなポイントに行くわけ。早いほどいい。よーいどん!で、一番釣れるポイントはみんな知ってて、何十年もやってる人だから、湖の形から、どこにポイントがあって、どのくらいの水深があって、藻、岩があってってことを全部知ってる。
先月の優勝者は、1日で45kg釣ってる。僕は20kgぐらい。

ヘラブナは、他の魚と違って、植物性のプランクトンを食べる。吸ったプランクトンをエラで濾して食べる。最初、餌が解けて魚が集まってくる。だんだん餌が小さくなって、ある時 餌が付いた針をパッと吸い込む。この当たりを出すのが大変なのね。餌の作り方によって当たりがでないわけ。本当に大事なのは、ヘラブナに食べさせるための、本当に そういう餌を作れるかどうかになるわけ。

自分がヘラブナに のめり込んだ理由は、マグレがない、ということ。うまいやつは必ず釣るわけね。
学生時代は?
広告研究会のカメラ班にいたんだ。モノクロだったけどね。
学生広告展で銀賞を取ったことがある。
どういう写真を撮ったかっていうと、両面テープの宣伝で、かたつむりの形のテープを引き伸ばして、その先にハエをくっ付けたわけ。上からも付きます、みたいなね(笑) 普通、セロテープって下側だからね。

その後は、学生を卒業してから、広告代理店に就職した。本当は、コピーライターになりたかった。
当時、コマーシャルを作る人は、トップになる人は、コピーライター出身がディレクターになるんだ。映像でもね、有名な写真家とかエラい人は いるかもしれないけど、ただ広告というもの全体を考えたときには、発想するディレクターが良くなければモノは作っていけない。

入った広告代理店では、コピーライターではなくて、営業とコピーライターをつなぐ人間になってくれないか、って言われた。
でもそれで、なって、大手銀行の広告担当になった。その大手銀行の広報部の中に僕の机があるわけ。他の代理店が来ないように、僕がガードするんだ(笑)
ビデオにいくきっかけは?
当時は、ビデオというものが仕事にならない時代でしょ。業務用ビデオとかやってる人は いなかったんじゃないかな。
うちの親父が8mmフィルムをアマチュアでやってて、秩父の小川町というところの「紙すき」を撮ってた。和紙の小川町と言ったら今でも有名なんだけど、そこの工房に行ってずいぶんカメラを回してたわけ。
そしたら、工房の方から、お客さんが見学に来るんだけど、紙すきっていうのは、オールシーズンやってるわけじゃないから、冬は冬の作業、夏は夏の作業があるから、その作業は その時は見せられない。で、親父が撮ってるものでビデオにしてね、テレビで流せるようにしてもらえませんか、って言われてたんだ。アマチュアなのにね。
それをテレシネ化してVHSにして収めた。それがあって、今度からビデオを撮るようにしようかっていうことで、僕も ついて行ってたかな。

お金をもらったらプロだよね。小川町の紙すきは、企画物だよね。だから、最初は、企画物が多かったよね。
流儀とかは、ありますか?
とにかく失敗しないことだよね。プロとしてね、どうしたら失敗しないか、絶えず考えること。
必ず、前もって、すべての機材、コード、道具をね、すべて何日か前にセットして、全部の機材を必ずテストすることだね。それも、現場で使う通りに全部つなぐ。
その後、セットした機材を、そのまま積む。ケースとか収めて、そのまま持っていくことね。

誰だって、プロとしてお金もらって撮るのに、何かこれがうまくいかないんじゃないかとか、引っかかる時があるわけ。それを解決するには、すべて組んでみれば、自信が持てる。

準備したら、その機材リストを作っておくね。で、現場の見取り図を作る。下見して。
これが一番大事なんだけど、我々の仕事、業務用ビデオというは、必ずリピートがあるわけ。同じ会社とか小学校・幼稚園から、同じ要求が来年もあることになる。その時にリストと見取り図があることによって、ミスがもっともっと少なくなってくる。そういうことなんだよね。
なるほど、参考になりした。ありがとうございました。
ありがとうございました。